経験のうちにあるものが知られるものである <p577>
(DD) 絶対知
Ⅷ 絶対知
精神の労働、現実の歴史、近代哲学史 <p578>
回顧(一)──意識の諸段階をめぐって <p556>
すでに和解は行われているが、その成就は宗教的形態もしくは意識としての意識自身という両側面で行われる
回顧(三)──「美しいたましい」の位置 <p564>
啓示宗教の精神とその克服 <p554>
前途瞥見
「私たち」の立場をめぐって <p582>
精神、自己、時間をめぐって <p572>
「絶対知」という境位をめぐって <p571>
残りつづける概念がみずからの充実を手にするのは、一面では行為する精神、自己自身を確信する精神にあってのこと、他面では宗教においてのことである。
最後の頂点──「良心」と「宗教」をめぐって <p567>
和解と承認の二側面 <p563>
もうひとつの頂点──道徳的自己意識をめぐって <p560>
精神の「和解」と「承認」の場面 <p561>
回顧(二)──「啓蒙」と「有用性」の視点 <p559>
ひとつの頂点──「頭蓋論」をめぐって <p558>
和解と承認による統合が帰属するのは宗教でなく自己意識という側面であり──この精神は自らの概念とどまっているがゆえに美しい魂と名づけられていた。
美しい魂は自己意識が精神が自分自身を純粋で透明な一なるありかたで知ることであり、この純粋な知が精神であるしだいを知っている自己意識なのだ。この神的なものの自己直観である概念も、みずからの実現と対立して固定されれば一面的形態となりむなしい霧となるが、この形態は積極にみずからを外化し譲渡して運動を続けていく。このとき、概念の自己意識が獲得するものは普遍性の形式であり、残りつづけるものは概念でありながら自分の実現を獲得した概念である。