区分  宗教  行為する精神  マルクス目線
 残りつづける概念がみずからの充実を手にすることにいたるのは  【宗教においては】
・内容であるかぎりでの絶対的な内容──表象という形式における内容──意識に対して他のものであるという形式にあっての内容
 【行為する自分自身を確信する精神の形態のうちでは】
・形式とは自己それ自身である─この形態がふくんでいるのは、行為する精神、自己自身を確信した精神である──自己こそが絶対的な生命の精神を貫いている
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 宗教の超克  【行為する概念】                        
・行為する精神の形態──形式とはそれ自身──自己こそが絶対的な精神の生命を貫いている
・この形態は概念である──じぶんの永遠の本質を放棄してそこに存在し行為する
・分裂=立ち現れることをこの単純な概念が純粋なありかたのなかで含んでいる
・純粋なありかたとは──絶対的な抽象であり──否定的なありかたである
・この概念は──みずからの現実性の場面、あるいは存在の境位を──自身のうちで、純粋な知そのものにそくして有している
・純粋な知とは──単純な直接性である
・この直接的なありかたが存在である。
・この直接的なありかたが──存在であり、現存在であるのと同様に本質である
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 直接的なありかたの二面性  【本質】
・積極的思考それ自身  
                     
 【現存在】
・否定的な思考
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 直接的なありかたの最終的な形態  ・現にあることは純粋な知の外部に出て、みずから反省的に立ちかえっている──いいかえれば「悪」である。
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自身のうちへと立ちかえることによって── ・登場するものは──実在についての純粋な知である──そのような知は行為するものでもなければ、現実的なものでもない
・このような知が登場し対立のうちにおかれることは──対立に関与することである
・実在に関する純粋なな知であっても──それ自体としてはみずからの単純なありかたを放棄してしまっている
・形成されるものは──概念の対立である

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 知──分裂──概念の対立  ・そのような知とは──分裂させることであり、否定的な力であって──概念とはこの否定性である  
 このように分裂させることは── <善と悪>  ──それが自体的なものであるかぎり善であり続ける  ──それが対自的になることであるかぎりでは悪である  
 生起することがら──意識に対する存在──対自的存在、意識自身のなすところ ・それ自体として生起することがらが、〔良心の段階では〕同時に意識に対して存在しており、それ自身二重のしかたでなりたっている
 ・「それ自身として生起することがら」は認識のの対象として存在するばかりではなく──認識主体がそのことがらに乗りうつりそのなかで行為へとつながる判断をおこなう主体化された知ともなっている。 
 それ自体として生起することがら──  ・意識に対して存在する  ・意識の対自的存在であり、意識自身のなすところであるととらえる意識
おのおのの意識の自立性の放棄  ・意識に対して存在するいっぽう──意識の対自的存在であり──意識自身のなすところである
・すでにそれ自体として定立されているところが──反復され──定立されているものをめぐる意識の知となり──意識された行為となる 
・おのおのの意識が他方の意識に対して、みずからの規定されたありかたが有する自立性を放棄する
・この放棄の意味するところは概念の一面性を断念することと同義であって──この断念がそれ自体としては「はじまり」をかたちづくる。
・放棄することはみずからを断念することであり──それに応じて概念も、それが断念されるものでありながら自分の概念なのである
・はじまりにあった自体的なものはそれが否定的なものであるかぎりでは同時に媒介されたものである
 
 ・当の自体的なものが定立される──たほうで否定的なものが存在するのも規定されたありかたとしてであって──この規定性は他の意識に対するさいのそれぞれの意識に属するから──おのおのの意識はまたそれ自体としては自分自身を破棄するものとなる 
<理解することが非常にむつかしい箇所ですが、自体的なものと否定的なものは対立しているのですが双方はその規定されたありかたにおいて対立していると理解しましょう>
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